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好きなことと日常生活についての雑記

旅行してきた 彦根編①

3月17~19日と5月24~26日に彦根・長浜・敦賀に行ってきました。

 

もともと日本史が好きで戦国BASARAを入口にして戦国武将にハマり、いつか行きたいと思っていた場所に行けました。武将好きには地名で見当がつくかもしれませんが、私の推し武将は石田三成大谷吉継島左近です。3人の関係性と三者三様の生き様が大好きでその足跡を辿ってみたいと思っていたのです。

さあ、早速その記録を書いていきますよ。

 

 

 

3月17日 彦根城

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                         (彦根城天守 2017.3撮影) 

 

お昼前にJR彦根駅に到着して、昼食を済ませて彦根城へ。

■概要

 関ヶ原の合戦ののちに近江国北東部と佐和山城を与えられた井伊直政によって建設が計画されたが、関ヶ原で受けた傷が悪化し死去。家督継いだ直継が建設を開始し、1606~1607年に完成(城郭全体の完成は1622年)。現存する天守のうちの1つで国宝になっている。

 

 国内にお城はたくさんあるけど現存する天守は少ないからとても貴重。彦根城天守は3層になっていて、実際に近くにいくと意外と小さい。でも立派なお城だった。勿論中にも入れるし、天候に恵まれて最上層からは琵琶湖が良く見えた。

 見どころは天守だけではなく、石垣だってすごい迫力。むしろ戦いにおいては石垣や櫓が城を守るために重要になるのだから堅固なつくりになっているのは当然か。

 

 因みに、彦根城の建築物の中には他の城から移築したと伝わるものがあり、大津城から天守を、佐和山城から太鼓櫓門と佐和口多聞櫓(非現存)、小谷城から西の丸三重櫓などが移築されたとか。建物や石材の移築は縁起担ぎやコスト削減、工期短縮を目的とされ彦根城に限らず名古屋城や姫路城、福岡城など多くの城に移築伝承がある。

 長浜城から移築されたとされる天秤櫓は少し変わった構造をしていて、正面から見て左右で石垣の積み方が違っている(東半分が牛蒡積み、西半分が落とし積み)。一応写真も撮ってみたけど分かりにくいし、ヘタクソにも程がある。

 

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                           (天秤櫓 2017.3撮影)

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                           (太鼓門 2017.3撮影)

 

 移築する際に元の城は必然的に破城されるわけだけど、こうして一部でも残っているとそこから想いを馳せてみることだってできるから歴史を辿っていくのは楽しいと思う。本当は元の姿のままの城を見たいんだけどね、破城されなければっていう何とも言えないジレンマ。

 

 彦根城と言えばゆるキャラブームの火付け役にもなったあの「ひこにゃん」にも会えるよ!実物のひこにゃんを初めて見たんだけどパフォーマンスのユルさは尋常じゃなかった。ユルいというかもはやゆっくり。手を振ったり、鈴を鳴らしたり、最後まで見ることなく天守の見学しに行っちゃいましたw

 

一先ず彦根城はこの辺で終了。最後に琵琶湖の写真でも載せておく(低クオリティ)。

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