ビールの泡みたいに消える選択
この記事を書き始めてから公開するまでに1週間以上経ってしまったので、今の気持ちは1週間前よりずっと落ち着いているが、記録の1つとして残しておこうと思う。
WaTの解散発表からある程度気持ちも落ち着いたので、改めて書きたかったことを綴ろうと思う。
アンコールでどうしても忘れられない言葉があった。
瑛ちゃんから徹ちゃんへの言葉だ。
”友達でもライバルでも家族でもない
コイツしか入れないカテゴリーができてしまった”
これを聞いたときに、真っ先にV6の~此処から~の歌詞が思い浮かんだ。
”他人 友達 家族 仲間
どこにも当てはまらない”
WaTとV6のどちらも全く別物であることは分かっているけれど、どちらもアニバーサリーイヤーで似た言葉を紡いでいるのに選んだのは真逆の選択肢だと感じた。比較したって無意味なことは重々承知しているし、どちらの選択が正しいかということもないだろう。ただ、V6のツアーパンフレットや雑誌のインタビューから分かるのは、個々の仕事が増えてグループ仕事から心が離れるメンバーもいたけれどそれを乗り越えて20周年を迎えたこと。WaTはそれぞれの目指したいものを見つけたから別れてしまうこと。1人でも十分やっていけるくらい成長したと言ってもいいのだろう。
~此処から~の歌詞を借りるなら”ビールの泡みたいに消えてしまう”選択肢を取ったWaTと、”消えない”選択肢を取ったV6の両方を12月6日に見たんだと思う。両方見てしまったから余計に悲しいのかもしれない。
「どうして解散しちゃうの?」「嫌だ!」と思うし、「もっとライブに行けばよかった」という後悔もある。初めてのライブで「10周年おめでとう」という隙もなく解散を知ることになったのも悲しい。
10周年で消える選択をしたWaTの2人が、さらに10年後にどういう風になっているのかわからないが、今回の選択で良かったと思うことができていたらそれでいいし、そうなっていて欲しい。
正直なところ、まだ悲しい気持ちが完全になくなったわけではないのでときどきモヤモヤした気分になるけれど、そろそろ一区切りつけたくて吐き出せるものは吐き出したつもりだ。